二本松で音楽を楽しむ。二本松音楽協会リンク

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二本松縁の音楽家・演奏家

高橋宏明 Violoncello

二本松市(旧・安達町)出身。武蔵野音楽大学大学院修了後ミラノに留学。
1988年、京都市立芸術大学卒業。音楽学部賞受賞。
1991年、同大学院修了。大学院賞受賞。
1989年、関西フィルハーモニーと協演。
1990年、 福島市民オーケストラと協演。
1994年、第1回ビバホールチェロコンクール入賞。京都、二本松にてリサイタルを開催。
1995年、第4回青山音楽賞受賞。ドイツ、フランクフルトへ留学し、1996年帰国。
これまでに、(故)佐藤修、上村昇、ハーヴィー・シャピロ、ペーター・ヴォルフの各 氏に師事。
現在、岸辺百百雄弦楽四重奏団チェロ奏者。大阪センチュリー交響楽団副首席チェロ 奏者。

樋口達哉 Tenor

二本松市(旧・安達町)出身。
武蔵野音楽大学大学院修了後ミラノに留学。
カルーソー国際声楽コンクール最高位等、受賞歴多数。
'98年ハンガリー国立歌劇場『ラ・ボエーム』でデビュー後ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場管弦楽団等と共演。
国内では新国立劇場『トスカ』『蝶々夫人』等で大役を演じ好評を博す。
さらに、二期会『ダフネ』『仮面舞踏会』『エフゲニー・オネーギン』『椿姫』『蝶々夫人』『ファウストの劫罰』といずれも高い評価を得る。
日本オペラの分野でも『夕鶴』『忠臣蔵』等で存在感を示す。
'10年にはミラノ大聖堂、サン・ピエトロ寺院(ヴァチカン)でのコンサートで大成功をおさめる。
その他『第九』、NHKニューイヤー・オペラコンサート等でも活躍。
イタリアの太陽を想わせる輝きのある声と華を持つ日本を代表するテノールとして多くのファンを魅了している。
男声ユニット【ザ・ジェイド】としても活躍。武蔵野音楽大学、東京芸術大学大学院各講師。二期会会員。
ホームページ:https://www.higuchi-tatsuya.com/

懸田 貴嗣 Violoncello

福島県出身。
上智大学文学部卒業。
東京芸術大学音楽学部別科チェロ専攻修了後、同大学院音楽研究科修士課程修了。
チェロを鈴木秀美、藤森亮一、北本秀樹、ルール・ディルティエンス、エマニュエル・バルサの各氏に師事。
在学中よりバッハ・コレギウム・ジャパン、ヘンデル・フェスティバル・ジャパン、北とぴあ国際音楽祭、福岡古楽祭、札幌古楽の夏音楽祭など主要な古楽オーケストラ、室内楽の演奏会、レコーディングに参加している。
2005年11月には鈴木秀美らとのCD「ボッケリーニ 弦楽五重奏曲集」が発売された。 浜離宮朝日ホールレジデントオーケストラである「オーケストラ・リベラ・クラシカ」、「アンサンブル・ヴィンサント」のメンバー。

中野久美子  Flute

二本松市(小浜)出身。 東京芸術大学器楽科フルート専攻を首席にて卒業。 ソロ、室内楽、コンチェルトを中心に活動。スクールコンサート、サロンコンサートは親しみ易いコンサートとして好評を得ている。 また、筝や尺八とのコラボレーションを行う一方、ジャズピアスト松本峰明氏とユニットを結成し、各地でコンサートを展開、CD「HANNAH'S DREAM」をリリース。 倉沢大樹氏とエレクトーンとのコラボレーションを行い、好評を得る。 お話音楽隊「ピッコロ」を主宰。

神野千恵 Piano

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学音楽学部研究科修了。
2009年ジュネーブ音楽院ソリストディプロマ過程修了。
引き続き同音楽院にて学び、2011年に帰国。
在学中に(財)ロームミュージックファンデーションより奨学金を得る。
これまでに、藤井一興、安川加壽子、林秀光、ミハエル・ヴォスクレセンスキー、練木繁夫、高橋多佳子、エリザベート・アタナッソヴァ、ジャン・ジャック・バレの各氏に師事。
2005年 日本ショパン協会主催ショパンピアノコンクール奨励賞、かずさアカデミア音楽コンクール入選。
2006年 安川加壽子記念コンクール第3位。
2008年 マリエンバート国際ショパンコンクール(チェコ)入賞。
2010年 ブレスト国際ピアノコンクール(フランス)第4位、エルネスト・ファッラ国際音楽コンクール(イタリア)第1位及び特別賞。

2005年 より本格的に演奏活動を開始し、定期的にリサイタルを開催。ソロのみならず室内楽の分野においても積極的に取り組んでいる。また、レクチャーコンサートやコンクールの審査なども行っており、後進の指導にも力を入れている。現在、桐朋学園大学附属子供のための音楽教室講師。

関屋敏子(1904~1941)

“国宝の名をかむりしほまれ思へば 我名はわれのものならずして うつしみの身は消ゆるとも とこしへに光に生ん我名わがたま”
これは、37歳の若さで自らの命を絶った世界的プリマ・ドンナ関屋敏子が自作「野いばら」の楽譜裏表紙に遺した辞世の歌です。

~ 家系と誕生 ~
関屋家は、代々二本松藩主の御典医として仕えた家柄でした。
敏子の父・祐之介は、六代玄堂の嗣子でしたが、医の道を断念、上京して実業家として成功していました。
明治37年3月12日、敏子は東京小石川区で関屋家の長女として誕生。
母は池田愛子といい、その父はフランス王室の血を引くアメリカ南北戦争の勇将ル・ジャンドル将軍という家柄でした。
敏子は、幼少の時から良家の子女のたしなみとして、琴や日本舞踊、長唄などの稽古事に励み、音楽的才能を磨きました。

~ 三浦 環との出会い ~
将来音楽家の道を志したいという気持ちを決定的にしたのが、当時日本音楽界の明星と称されていた三浦 環との出会いでした。偶然耳にした敏子の長唄で、その天性を察した三浦は、自ら関屋家を訪れ、自分のもとで声楽を勉強させたいと申し入れたのです。
大正3年(1914)、師とともに初めての発表会に臨んだ11歳の敏子は、イタリア語でロッティ作曲“美しい唇よ、せめてもう一度”の難曲を譜面も持たずに歌い上げました。
翌朝の『都新聞』は、“天才音楽少女”の見出しで「師三浦夫人のおもかげを表し、将来は実に有望であり、出藍の独唱者となるであろう」と絶賛したのです。

~ イタリアでの活躍 ~
日本での修練に限界を感じていた敏子は、ついに憧れのオペラの本場・イタリアに留学を決意し、昭和2年(1927)父とともに神戸港を出航。
イタリア音楽界の名指揮者であるスカラ座のスキャボニーに師事、天性の才能を発揮し一ヶ月足らずで三大オペラ「椿姫」「ルチア」「リゴレット」の役を修得しました。
のち、多くの演奏会に出演して高い評価を得る一方、世界最古の音楽大学・ボローニア大学から日本人初のディプロマ(特別卒業証書)が贈られました。
さらに、スカラ座のプリマ・ドンナとしての位置を築き、イタリアをはじめ欧米諸国から多くの出演要請があり、精力的に活動しています。

~ 永遠の旅立ち ~
昭和9年、前年パリで発表し絶賛された自作自演のオペラ「お夏狂乱」を日本初公演として歌舞伎座で上演、敏子の新境地を拓いた日本風オペラは多くの音楽ファンを魅了するとともに、日本音楽史上にも大きな足跡を残しています。
のち、両親の勧めで結婚したものの4年足らずで破局。心の中の空虚を埋めるかのように休む間もなく歌い、また作曲を続ける日々を送りました。
昭和16年の晩秋、オペラ「巴御前」の作曲に没頭して深夜まで楽譜に向かう敏子の心身の疲労は極限に達していました。
11月23日夜、睡眠薬を服用し、自ら人生の舞台に幕をおろしたのです。

その他リンク


  • 福島県二本松市ウェブサイト
  • リクレアツィオン・ダルカディア
    ヨーロッパに在住する日本人の音楽家4人(松永綾子、山口幸恵、懸田貴嗣、渡邊孝)によって構成される古楽アンサンブル・グループ。

  • 原発事故を契機に記録を始めたものや記録が残っていた曲を集めたサイト。

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二本松縁の音楽家・演奏家

高橋宏明 Violoncello

二本松市(旧・安達町)出身。武蔵野音楽大学大学院修了後ミラノに留学。
1988年、京都市立芸術大学卒業。音楽学部賞受賞。
1991年、同大学院修了。大学院賞受賞。
1989年、関西フィルハーモニーと協演。
1990年、 福島市民オーケストラと協演。
1994年、第1回ビバホールチェロコンクール入賞。京都、二本松にてリサイタルを開催。
1995年、第4回青山音楽賞受賞。ドイツ、フランクフルトへ留学し、1996年帰国。
これまでに、(故)佐藤修、上村昇、ハーヴィー・シャピロ、ペーター・ヴォルフの各 氏に師事。
現在、岸辺百百雄弦楽四重奏団チェロ奏者。大阪センチュリー交響楽団副首席チェロ 奏者。

樋口達哉 Tenor

二本松市(旧・安達町)出身。
武蔵野音楽大学大学院修了後ミラノに留学。
カルーソー国際声楽コンクール最高位等、受賞歴多数。
'98年ハンガリー国立歌劇場『ラ・ボエーム』でデビュー後ミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場管弦楽団等と共演。
国内では新国立劇場『トスカ』『蝶々夫人』等で大役を演じ好評を博す。
さらに、二期会『ダフネ』『仮面舞踏会』『エフゲニー・オネーギン』『椿姫』『蝶々夫人』『ファウストの劫罰』といずれも高い評価を得る。
日本オペラの分野でも『夕鶴』『忠臣蔵』等で存在感を示す。
'10年にはミラノ大聖堂、サン・ピエトロ寺院(ヴァチカン)でのコンサートで大成功をおさめる。
その他『第九』、NHKニューイヤー・オペラコンサート等でも活躍。
イタリアの太陽を想わせる輝きのある声と華を持つ日本を代表するテノールとして多くのファンを魅了している。
男声ユニット【ザ・ジェイド】としても活躍。武蔵野音楽大学、東京芸術大学大学院各講師。二期会会員。
ホームページ:https://www.higuchi-tatsuya.com/

懸田 貴嗣 Violoncello

福島県出身。
上智大学文学部卒業。
東京芸術大学音楽学部別科チェロ専攻修了後、同大学院音楽研究科修士課程修了。
チェロを鈴木秀美、藤森亮一、北本秀樹、ルール・ディルティエンス、エマニュエル・バルサの各氏に師事。
在学中よりバッハ・コレギウム・ジャパン、ヘンデル・フェスティバル・ジャパン、北とぴあ国際音楽祭、福岡古楽祭、札幌古楽の夏音楽祭など主要な古楽オーケストラ、室内楽の演奏会、レコーディングに参加している。
2005年11月には鈴木秀美らとのCD「ボッケリーニ 弦楽五重奏曲集」が発売された。 浜離宮朝日ホールレジデントオーケストラである「オーケストラ・リベラ・クラシカ」、「アンサンブル・ヴィンサント」のメンバー。

中野久美子  Flute

二本松市(小浜)出身。 東京芸術大学器楽科フルート専攻を首席にて卒業。 ソロ、室内楽、コンチェルトを中心に活動。スクールコンサート、サロンコンサートは親しみ易いコンサートとして好評を得ている。 また、筝や尺八とのコラボレーションを行う一方、ジャズピアスト松本峰明氏とユニットを結成し、各地でコンサートを展開、CD「HANNAH'S DREAM」をリリース。 倉沢大樹氏とエレクトーンとのコラボレーションを行い、好評を得る。 お話音楽隊「ピッコロ」を主宰。

神野千恵 Piano

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学音楽学部研究科修了。
2009年ジュネーブ音楽院ソリストディプロマ過程修了。
引き続き同音楽院にて学び、2011年に帰国。
在学中に(財)ロームミュージックファンデーションより奨学金を得る。
これまでに、藤井一興、安川加壽子、林秀光、ミハエル・ヴォスクレセンスキー、練木繁夫、高橋多佳子、エリザベート・アタナッソヴァ、ジャン・ジャック・バレの各氏に師事。
2005年 日本ショパン協会主催ショパンピアノコンクール奨励賞、かずさアカデミア音楽コンクール入選。
2006年 安川加壽子記念コンクール第3位。
2008年 マリエンバート国際ショパンコンクール(チェコ)入賞。
2010年 ブレスト国際ピアノコンクール(フランス)第4位、エルネスト・ファッラ国際音楽コンクール(イタリア)第1位及び特別賞。

2005年 より本格的に演奏活動を開始し、定期的にリサイタルを開催。ソロのみならず室内楽の分野においても積極的に取り組んでいる。また、レクチャーコンサートやコンクールの審査なども行っており、後進の指導にも力を入れている。現在、桐朋学園大学附属子供のための音楽教室講師。

関屋敏子(1904~1941)

“国宝の名をかむりしほまれ思へば 我名はわれのものならずして うつしみの身は消ゆるとも とこしへに光に生ん我名わがたま”
これは、37歳の若さで自らの命を絶った世界的プリマ・ドンナ関屋敏子が自作「野いばら」の楽譜裏表紙に遺した辞世の歌です。

~ 家系と誕生 ~
関屋家は、代々二本松藩主の御典医として仕えた家柄でした。
敏子の父・祐之介は、六代玄堂の嗣子でしたが、医の道を断念、上京して実業家として成功していました。
明治37年3月12日、敏子は東京小石川区で関屋家の長女として誕生。
母は池田愛子といい、その父はフランス王室の血を引くアメリカ南北戦争の勇将ル・ジャンドル将軍という家柄でした。
敏子は、幼少の時から良家の子女のたしなみとして、琴や日本舞踊、長唄などの稽古事に励み、音楽的才能を磨きました。

~ 三浦 環との出会い ~
将来音楽家の道を志したいという気持ちを決定的にしたのが、当時日本音楽界の明星と称されていた三浦 環との出会いでした。偶然耳にした敏子の長唄で、その天性を察した三浦は、自ら関屋家を訪れ、自分のもとで声楽を勉強させたいと申し入れたのです。
大正3年(1914)、師とともに初めての発表会に臨んだ11歳の敏子は、イタリア語でロッティ作曲“美しい唇よ、せめてもう一度”の難曲を譜面も持たずに歌い上げました。
翌朝の『都新聞』は、“天才音楽少女”の見出しで「師三浦夫人のおもかげを表し、将来は実に有望であり、出藍の独唱者となるであろう」と絶賛したのです。

~ イタリアでの活躍 ~
日本での修練に限界を感じていた敏子は、ついに憧れのオペラの本場・イタリアに留学を決意し、昭和2年(1927)父とともに神戸港を出航。
イタリア音楽界の名指揮者であるスカラ座のスキャボニーに師事、天性の才能を発揮し一ヶ月足らずで三大オペラ「椿姫」「ルチア」「リゴレット」の役を修得しました。
のち、多くの演奏会に出演して高い評価を得る一方、世界最古の音楽大学・ボローニア大学から日本人初のディプロマ(特別卒業証書)が贈られました。
さらに、スカラ座のプリマ・ドンナとしての位置を築き、イタリアをはじめ欧米諸国から多くの出演要請があり、精力的に活動しています。

~ 永遠の旅立ち ~
昭和9年、前年パリで発表し絶賛された自作自演のオペラ「お夏狂乱」を日本初公演として歌舞伎座で上演、敏子の新境地を拓いた日本風オペラは多くの音楽ファンを魅了するとともに、日本音楽史上にも大きな足跡を残しています。
のち、両親の勧めで結婚したものの4年足らずで破局。心の中の空虚を埋めるかのように休む間もなく歌い、また作曲を続ける日々を送りました。
昭和16年の晩秋、オペラ「巴御前」の作曲に没頭して深夜まで楽譜に向かう敏子の心身の疲労は極限に達していました。
11月23日夜、睡眠薬を服用し、自ら人生の舞台に幕をおろしたのです。

その他リンク

  • 福島県二本松市ウェブサイト
  • リクレアツィオン・ダルカディア
    ヨーロッパに在住する日本人の音楽家4人(松永綾子、山口幸恵、懸田貴嗣、渡邊孝)によって構成される古楽アンサンブル・グループ。

  • 原発事故を契機に記録を始めたものや記録が残っていた曲を集めたサイト。